2023年6月5日
2023年5月に左乳房部分切除の手術が終わり、退院して3-4週間がたった。
最初は、2cm以下の非浸潤がんであり、ステージ0。あとは放射線治療だけだと思っていた。しかし状況は一気に逆転。針生検した部分は非浸潤がんでHER2は陰性とのことだったが、針生検したのは局所一部であり、手術時に採取した細胞を分析した結果は違った。
乳がんは全体で約5cm程度。中心部分は2cm程度の浸潤がん。周辺5cm程度は非浸潤がん。厄介なのが、中心部分の浸潤がんがHER2が陽性であるということ。つまり、ステージ0ではなく、ステージⅡに近いステージⅠとのこと。
従って、治療方針が大きく変更になった。当初は放射線治療だけと思っていたところから、抗がん剤治療に大きく方針変更。
色々な抗がん剤治療の種類があるが、主治医から言われたのは、以下の治療方針とのこと。
EC(エピルビシン+シクロホスファミド)治療を1回/3週間の周期で投与していくようになる。これを3か月間続けて、次にHPD治療(タラスツズマブ+ペルツズマブ+ドセタキセル)を3か月、HP(タラスツズマブ+ペルツズマブ)治療を1年間と続けていくようになる。
さらに、来週の6月12日から開始するとのこと。青天の霹靂。。。
状況が急展開過ぎてついていけないが、まずは抗がん剤治療の開始までにどういう治療が妻にされるのか、主治医の判断が適正なのか理解するしかない。
そして、この話を告げられた妻はただ落ち込んでいた。そりゃー、落ち込むわ。
妻をどのようにサポートし、子供たちにどのように伝え、家族でどうしていくか、考え決定していくしかない。
2023年6月12日
とうとうその日が来た。朝一で病院に行かないといけないが、小学生と中学生の子供を元気よくいつも通り学校へ送り出して、車で病院に行った。
妻は気丈に振舞っていたが気が動転している様子は隠しきれない。お互い明るく振舞おうと、どうでもいい会話をしていたと思う。
病院に着く直前に妻が言った。「ない」と。「何が?」
「スマホを家に忘れた。」と。今までスマホを忘れたことなんてないので、さすがに気が動転しているなぁと改めて感じた。スマホを取りに帰る時間もないので、私のスマホを渡した。幸い、私は会社貸与のスマホも持っているので、なんかあれば、会社貸与スマホに電話すればいいよ。と
また、主治医との面談も採血してからとか、時間もあったので、とりあえず妻を病院でおろして、私は妻のスマホを家に取りに帰り、スマホをもって病院に戻った。
やっぱり気が動転しているので、時間には余裕をもって行動する。また、サポートする側は焦らないことが重要だと思ったね。
初めての抗がん剤投与は点滴で1.5時間ぐらいであった。点滴後はちょっと疲れていた程度であり、処方箋をもらって家に帰った。
妻を連れて家に帰ったら、ちょうど小学生の息子も帰ってきた。ぱっと見は何も変わらないので、子供からすればいつもと変わらずである。
なお、私たちは子供たちには全てを話している。子供たちもちゃんと理解できているだろうが、どのように反応していいのかわからない様子であるが、何かを自分たちなりに感じていると思う。
2023年6月13日
2023年6月12日の抗がん剤投与した夜、妻は非常に苦しんでいた。私は妻本人ではないので、何とも正確な表現はできないが、トイレまでの3mが歩いていくことも、はっていくこともできなかった。肩を貸して何とか、トイレまで連れていけたが、トイレ前で動けず死んだように寝転がって、苦しい、苦しいと悶えていた。夜10時頃にこのような状況に一気に悪化し、子供たちは目の前で母親が、明らかに苦しい状態になっていたので不安がっていた。
また、私自身、しっかりサポートをしないといけない!と思いながら、前日から私も不安であまり熟睡もできていなかった為か、苦しんでいる妻の横で爆睡してしまった。
早朝にぱっと目が覚めて、妻の様子を見たら、妻も苦しみ続けて疲れ果てて途中で眠てしまった様子。
妻は朝には明らかに状態がよくなっていて、安心した。
サポートする側もしっかり栄養とって、しっかり寝ること。そうしないと、サポートができないね。